出典は鷲田清一先生の『普通を誰も教えてくれない』です。

 4限の4年生のゼミでは石原千秋先生の『教養としての大学受験国語』(ちくま新書)からの文章を読んでみました。東京大学1999年度前期日程で出題された問題です。出典は鷲田清一先生の『普通を誰も教えてくれない』(潮出版社)です。「身体をもつ」ことと「身体である」ことという副題が付けられています。
 身体が私であったり私でなかったりする不思議を分かりやすく語っている文章で楽しめました。体調の良い時にウォーキングを楽しんでいる時には自分の身体はほとんど意識に上がってきません。空気の存在が意識されないのと同様ですね。ところが時として自分の身体が自分の異物として感じられることもあります。そのあたりのイメージを分かりやすく捉えています。石原先生の解説も納得のいくものでした。
 図書館の職員のHさんが研究室の中のバーコードが付いていない本を点検に来ました。研究室に置きたい本と図書館に引き取ってもらいたい本を区分けしておけば引き取りに来てくれるとのことです。研究室もどんどん手狭になってきています。研究室に置く本は最小限度の方向で検討することにしました。
 来週の演劇論ではオスカー・ワイルドの『サロメ』に付いて語ろうと思っています。新国立劇場での宮本亜門演出、多部未華子主演の『サロメ』も観てきたばかりです。宮本+多部の『サロメ』は従来の『サロメ』を語るために用いられてきた「世紀末」とか「退廃的」とかいうキーワードを脱構築する新しいサロメ像を創造しようという試みでしょうか。来週の演劇論は色々と語ることがありそうです。