中学2年の時にはアマチュア無線の試験にも合格しました。

takuzemi2012-08-19

 小学校の高学年から中学校に掛けての頃は私は理科系の少年でした。夏休みの一研究なども蔦植物の吸盤などについて調べたものでした。小学生の頃から誠文堂新光社の雑誌「子供の科学」を愛読していました。この雑誌には子供の喜びそうなさまざまなキットの通信販売の広告が付いています。ゲルマニウムラジオのキットを買って組み立てて楽しんだりしていたのです。
 そのうちに通信販売だけでは飽き足らなくなってきました。秋葉原のラジオデパートなどのお店に出掛けるようになったのです。アルミ製のシャーシーをくり抜いて真空管のソケットを取り付けるためのシャーシーパンチなどという道具なども少しずつ揃えていきました。初めて3球式の短波ラジオを完成させた時には本当に嬉しかったものです。
 ベリカード(Verification Card)の蒐集にも凝ったものでした。受信した放送局に電波の状況を報告すると、放送局からカラフルな美しい絵はがきが送られてくるのです。短波放送を聴くことで遠い国々への憧れの念を満たしていたのかも知れません。
 中学2年の時にはアマチュア無線の試験にも合格しました。どこでどうやって試験を受けたのかは全く覚えていません。今でも保存している日本国政府の発行した無線従事者免許証を見ると昭和36年12月19日に発行されたことになっています。高校受験のための勉強に取り組まねばならず、ラジオへの熱は残念ながら急速に冷めていくことになりました。