アラゴンの小説は脱中心的とでも言えそうです。

 昨日のエクセルの作業の疲れが残っているためか、目が醒めたら時計の針は7時を回っていました。顔を洗ってから新聞を取ってきました。朝の新聞をじっくりと読んでから、ゆっくりとアラゴンの勉強に取り掛かりました。今日は7年ほど前に書いた私自身の論文を読み直しながら「小説の求心性」について考えてみました。アラゴンはドミニック・アルバンとの対談で「小説の本質は余談にある」との発言をしています。余談とは「本筋をはなれた話、ほかの話」ですね。実際、アラゴンは本筋を脱線して、次々と余談に走っていくような小説を書き連ねています。アラゴンの小説は脱中心的とでも言えそうです。
 午後も居間で作業を続けました。その間にも4年ゼミ生のK君からゼミ旅行についての相談のメールが送られてきました。3年ゼミ生の諸君にも連絡が必要なのでMさんにメールしてメーリングリストに書き込んでもらうことにしました。ばたばたしながら午後も小さな断片を一つ書き上げることができました。
 午後の3時過ぎには作業効率が落ちてきました。仕事を中断して駅前の須原屋書店まで本を物色しに出掛けました。外に出てみると大変な猛暑です。頭がくらくらするような気がします。書店の中はクーラーが効いていて別天地でした。雑誌のグラビアページなどを立ち読みして過ごしました。「芸術新潮」が松井冬子さんの特集を組んでいます。幽霊の絵を見ているうちに涼しくなってきました。藤井聡・中野剛志共著『日本滅亡論』(文春新書)を買って帰宅しました。