「どろぼうばし」という石の橋を渡るのも好きでした。

 高校時代のことです。川越の高校に通っていました。始業の時間が気に掛かる朝には一番の近道を選んで高校に向かいました。けれども高校まで通う道筋には無数のバリエーションが有ったのです。一日の授業が終って帰る道は自由に選べますね。良く友人たちと卓球屋に寄り道して卓球を楽しんだものでした。
 喜多院にも良く立ち寄ったものでした。ベンチで一休みしたり、本堂の裏手の庭の木立に分け入ったりしたものです。そこでぼんやりと物思いに耽ったものでした。「どろぼうばし」という石の橋を渡るのも好きでした。川越の町は歩きながら色々と夢想するのにぴったりの町なのですね。
 福田屋書店という本屋さんがありました。その本屋さんの右手の路地が何とも不思議な感じを与えてくれるのです。細い路地を抜けると今まで来たこともない土地に来たような錯覚に囚われるのです。何度通り抜けても慣れることのない感覚でした。不思議な空間をトリップするような感覚です。
 今では「大正ロマン通り」と呼ばれている一角も昔は名前などはなかったように記憶しています。この通りにも小さな路地が無数に連結されていて迷路に迷い込むような感覚がありました。アラゴンの『パリの農夫』は世界の都の歩き方を教えてくれる一冊でした。まだアラゴンを知らなかった高校生の私は埼玉の地方の町で自分なりの町の発見を楽しんでいたのだろうと思います。