私は学部時代はル・クレジオを研究対象として選んでいました。

 私は学部時代はル・クレジオを研究対象として選んでいました。学部時代の卒論は薄っぺらなものでした。大学院に移って書き上げた修士論文ル・クレジオをテーマにしたものでした。当時はKJ法の図解を作るのに熱中していました。早朝の4時に起きて今日の原稿執筆のためのラフスケッチを表示するKJ法図解を作ったものでした。
 ル・クレジオの初期の作品群はどれもみな小説技法の実験といった趣がありました。私の好きな作家たちはアラゴンでも夏目漱石でも最後まで小説の可能性を実験し続けた作家たちなのです。ところが、ある時期からル・クレジオは小説技法への関心を失ったようなのです。そして、自分がどこから来たのかという自己のルーツ探しにのめり込んでいくのです。
 小説技法の実験に関心を失ったル・クレジオに対して、私はもう研究対象とするだけの気持が失われていきました。そんな頃に稲田三吉先生からアラゴンの後期小説が面白いという話しを伺ったのです。分厚いFOLIO版で読む『死刑執行』や『ブランシュまたは忘却』はまことに難儀な書物でした。歯が立たずに何度も投げ出したくなりました。けれども、この中には何かがあるぞという確信だけは持ち続けていました。今でもアラゴン漱石が「小説をぶっ壊してやろう」と試みたことには拍手を送りたいという思いで一杯です。こうした作家たちに本当に多くのことを教えられたと思うからです。