今日も沼影観音堂まで散歩に出掛けました。

takuzemi2012-10-21

 朝の起き抜けの時間帯は少々「小説の恣意性」をテーマに考えてみました。言い換えれば作者は思いのままに自分の登場人物を動かすことができるのだろうかという問題です。夏目漱石のような作家はこれから書かれるべき小説についての設計図を用意してから書くタイプです。あらかじめ結末が分かっている訳です。ところがアラゴンは「私は誰が犯人なのか知らずに書き始める」という意味のことを言っています。登場人物がどう動くかが分からないと言うのですね。こんなことを考えていたら頭がこんぐらかってきました。
 今日も沼影観音堂まで散歩に出掛けました。境内に入るとすぐに観音堂に向かって左手に六地蔵さまが並んでいます。その右手に一体だけプラスアルファの地蔵さまが立っているのが不思議です。六地蔵さまの裏手には紫蘇の花が咲いていました。観音堂の左手には小さな社(やしろ)があって、何足もの草履がぶら下げられていました。不思議に思って見たら社には「いぼ地蔵」と書かれていました。賽銭を上げて合掌しておきました。御利益があると嬉しいのですが。観音堂の裏手は墓地になっています。一回りしてみたら沼影の大地主のH家のお墓が沢山あるのです。感心してしまいました。
 10時過ぎには折り畳み式のキャリアを提げて家人と二人で近くのスーパーまで出掛けました。2リットル入りの水が6本入った箱を2箱買い求めて帰りました。水の買い出しは日曜日の山本家の恒例の行事となってきたようです。