課題はアラン・ロブ=グリエの『新しい小説のために』でした。

 大学一回生の時のことです。大橋保夫先生から夏休みの間に講読用のフランス語のテクストを一冊丸ごと訳してくるようにという宿題が出たことがあります。旧制高校の伝統を伝える硬教育主義が残っていたのでしょうか。テクストは50ページほどのものだったと思います。それでも全文を日本語に訳すとなると大変な作業でしょう。私の与えられた課題はアラン・ロブ=グリエの『新しい小説のために』でした。ヌーボー・ロマンの理論書と言われた本です。ところが夏休みの間の一夏を私は怠けきって過ごしてしまったのですね。秋になってからフランス語の授業に参加して先生の前で一行も訳せなかったことを告白するのはとても辛い時間でした。これなら毎日規則正しく翻訳に取り組んでおけば良かったとも思いました。
 でも大橋保夫先生からはお叱りの言葉はありませんでした。私がロブ=グリエの『新しい小説のために』を訳してこなかったことが本当に残念であるように「残念だなあ。本当に良い本なのに・・・」と仰ったのです。私は首をすくめて立ちすくんでいるばかりでした。・・・その後、ロブ=グリエはフランス学士院(アカデミー・フランセーズ)の会員に選出されました。その直前のFrance Cultureで25回にわたって連続で放送された「作家生活入門」は私の大好きな番組となりました。コンピュータのハードディスクに録音してCDに焼きました。繰り返して聞いて立派なロブ=グリエに付いての講義録も一つ書き上げることができました。