地下1階の閲覧席で論文を見直して過ごしました。

 桜の花を惜しんで別所沼まで散歩に出掛けました。「花と緑の散歩道」は相変わらず花見を楽しむ人々で一杯です。満開の桜は気温の低い状態が続いているためか、まだほとんど散り始めていません。何だか満開の桜を見上げていると「妖艶な」と形容したくなってきます。梶井基次郎の『櫻の樹の下には』は「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる」という冒頭の一句から始まります。そんなことも考えさせてしまう桜の「妖艶さ」でした。
 午後は大学に出掛けることにしました。バックパックに荷物を詰め込んで革ジャンにジーンズという出で立ちで家を出ました。まだ武蔵野線の電車が来るまでには間があります。駅前の須原屋書店に立ち寄って梶井基次郎著『檸檬』(新潮文庫)を買っておきました。「櫻の樹の下には」を早く読み直してみたかったからです。このテクストは「俺」が「お前」に語り掛けるという構造をしていることに気付きました。「お前」と呼び掛けられているのは我々読者なのかも知れないとふと感じました。
 学科の雑務を少々片付けてから父母と教職員の会の事務局まで出張の報告書や復命書を提出に行きました。それから大学図書館に移動して地下1階の閲覧席で論文を見直して過ごしました。相変わらずA4でプリントアウトしたものにPILOT VCORN<直液・水性>で書き込みしていくという原始的なやり方です。春休み中というのに勉強熱心な学生諸君が集まっています。地下の閲覧席はなかなか集中して作業ができました。(写真は元荒川の河川敷の桜並木です。河川敷には花見を楽しむ人々の姿も見受けられます。)