「人間は壊れものだね」という話になってしまいました。

takuzemi2013-04-22

 先日の帰路は大学の正門のところで教育学部の家庭専修のF先生とお会いしました。入試委員会がまだ入試部と呼ばれていた頃一緒に入試関係の業務に携わった記憶があります。私にとってF先生は「同じ釜の飯を食った仲間」という感じでしょうか。F先生と歩きながら話しているうちに「人間は壊れものだね」という話になってしまいました。そうしたらF先生が大江健三郎の『壊れものとしての人間』に出てくる「壊」の文字の土偏を心偏に変えると「懐かしくなる」と教えてもらいました。大江健三郎氏には『懐かしい年への手紙』などの長編小説もあります。ひょっとすると大江氏にとっては「懐かしさ」が重要なキーワードなのかも知れません。
 4月19日の金曜日の夜中に発熱してから風邪のために体調が良くない状態が続いています。金曜日にはどうしても休むことのできない重要な仕事があったので無理をして大学に出掛けていきました。週末の4月20日の土曜日と21日の日曜日にはアラゴンの『ブランシュまたは忘却』という作品を再読しています。日曜日には学生だった京都時代に松ヶ崎の双葉荘という木造アパートで一緒に暮らしていたT君から電話が掛かってきて驚きました。T君は東大阪市の病院に入院中とのことで心配です。教育学部のF先生との会話に出てきた「壊れものとしての人間」が「懐かしいものとしての人間」に変わることが大切なのかなとも感じました。