都会で暮らしていると街の音が引っ切り無しに聞こえてきます。

takuzemi2013-08-24

 普段なら起き抜けの時間にA4の紙を横向けに置いて今日のTODOを作るのが常です。けれども今日はその作業をカットすることにしました。昨日は外回りの仕事を終えて、今週の山は越えたという気持があるからです。今日はドミニック・ローホーさんの作品を何冊が再読して過ごすことに決めました。『「限りなく少なく」豊かに生きる』や『人生で大切なことは雨が教えてくれた』などをロッキング・チェアに座って再読して愉しみました。
 都会で暮らしていると街の音が引っ切り無しに聞こえてきます。とりわけ枕元の雨戸を開けておくとJRの音などが大変な音量で聞こえてきます。もう慣れてしまって、余り気にはしてはいないのですが、狭山に住んでいた頃の夜は無音状態になってしまうこともありました。そんな田舎の暮らしが何とも懐かしくなります。現代生活では完全な無音状態や完全な闇が失われてしまったことを時には無念の思いに囚われます。年を取ったためでしょうか。子供たちの話し声が喧しく感じられることが増えました。決して子供たちが嫌いだと言うわけではないのですが、彼らの元気な声が耐えられない感じなのですね。駅前の書店に出掛けても、子供たちの大声が聞こえてきます。電車に乗っていても、彼らの声が聞こえてきます。慣れてしまった方が楽なのでしょうが、なかなか慣れることができない自分にジレンマを感じています。そんなことを考えていたら、伊武雅刀さんの『子供達を責めないで』を思い出してしまいました。