狭い路地には無数の屋台が並んでいました。

 午後は谷中まで散歩に出掛けました。埼京線の快速で赤羽まで出て、京浜東北線に乗り換えました。田端で下車してJR山手線の西日暮里で下車しました。諏訪台通りは祭りが行なわれていて、狭い路地には無数の屋台が並んでいました。諏方神社の例祭が行なわれている最中なのだと知れました。久し振りに立ち寄ってみた朝倉彫塑館は館内修理のために休館中で残念でした。以前は学生諸君を連れて館内を見学するために何度となく立ち寄った記憶があります。独特のゆっくりとした時間が流れている環境が大好きでした。今年の10月29日の火曜日に再オープンするとのことで楽しみです。
 夕焼けだんだんの坂道を下って、谷中ぎんざの商店街に歩み入りました。恵比寿ビールの生を一杯頂いてしまいました。暑い最中の散歩でしたが、祖父の玉泉が通っていた太平洋美術研究会の前も通り抜けることができて、何かの因縁だなと感じることもできました。祖父の玉泉は私が生れるずっと前に結核で亡くなってしまったので、一度も会う機会はありませんでした。短歌を作ったり、詩を書いたり、坊主の分際でありながら、マルクス主義思想に心酔していたと聞いています。それから地元の狭山の民族学的資料を毛筆で書き留めていたのも記憶に残っています。残念ながら、その手書きの資料は何かの機会に紛失してしまいました。残念ながら縁が無かったと言うことでしょうか。