「セザンヌを絵画の破壊者とすれば、ルナアルは小説の破壊者である」

 以前、私自身が書いた論文「アラゴンの小説技法(1)−方法としての「余談」について−」を読み直してみました。アラゴンはドミニック・アルバン女史との対談の中で「私の作品はすべてこれ延々たる余談の組み合わせにほかならなかった」と言っています。この論文の中にはポール・リクールの「小説で重要なのは筋だ」という小説の求心性を称揚する言葉が出てきます。その反対の芥川龍之介が作家のジュール・ルナールを評価する言葉も出てきて面白いですね。芥川の言葉は「セザンヌを絵画の破壊者とすれば、ルナアルは小説の破壊者である」というもので、小説の求心性を求めるリクールとは反対に、小説の解体の中に小説に於けるポエジーを見出そうという立場だと言えるでしょう。
 今日も自分の論文を見直しました。プリントアウトした原稿にPILOT VCORN(赤)で修正していくという手法は他のノウハウと変わりません。今日は論文の読み直しに90分ほども掛かってしまったので、論文の見直しは60分ほどの作業に留めておきました。修正部分の7ページから13ページまでを印刷して一件落着としました。なかなか順調な毎日です。
 今日も池内紀(いけうち・おさむ)さんの『悪魔の話』(講談社学術文庫)を読み進めました。ヨーロッパの悪魔だけではなく、日本の怪人二十面相などにも言及する筆者の筆さばきは自由自在です。豊富な図版もあり、悪魔に付いての概略の知識が得られそうです。「かつて私たちのまわりにも、いたるところに闇があった」という指摘には深く反省させられました。闇を失うことで私たちは内省という深い習慣を忘れてきたのではないかと考えさせられたからです。