あちらこちらで彼岸花が群生している姿を見掛けました。

 昨日の天岑寺への往復ではあちらこちらで彼岸花が群生している姿を見掛けました。そして墓地の一角では幸運を告げるという黄色い蝶も見掛けました。帰宅して一晩ぐっすり眠ったのですが、朝方には咳き込んでしまって目が醒めました。家人に聞いてみたら私は3日ほど前から寝ながら咳をしているとのことでした。風邪を引いたのでしょうか。今朝も1限から授業があり早めに家を出ました。ワイシャツ1枚で外に出たら何だか肌寒いような印象がありました。
 フランス語2ではいよいよ最終章に入りました。「過去のことを言う」というテーマです。対話の部分を先ずは練習しました。それから文法に入って複合過去を学びました。助動詞にavoirを使う場合とetreを使う場合があり、両者の区別が不可欠だということを説明しました。一般の他動詞で複合過去を作る場合にはavoirを、場所の移動に関わる動詞と代名動詞を用いる場合はêtreを用いることになるのですね。残り時間を利用してパリのピカソ美術館を紹介するビデオを30分ほど観ておきました。ピカソの力強い絵画は観る人の胸を打つ本物の迫力を持っていると思われました。
 4限の4年生のゼミの開始を待つ間には研究室で本を読んで過ごしました。翰林書房の『漱石研究』の『ぼっちゃん』特集です。半藤一利氏が小森陽一氏と石原千秋氏のお二人と鼎談を行っているのですね。この鼎談の中で半藤氏は漱石修善寺での「大患以後の漱石作品はほとんど読まない」と断言していることです。これには少なからず驚きました。けれども大患以後の漱石は死や苦悩を内面に抱えたインテリを描くことに本筋を置いていたと言えるのでしょうね。これはある意味ではかなり疲れる選択であったのではないかと私は思っています。