「欠乏−満足という単純な論理で動くもの」が「動物」なのでしょう。

takuzemi2013-10-23

 昨日の4限の4年生のゼミでは東浩紀氏の「動物化するポストモダン」を輪読しました。文中にあるように「欠乏−満足という単純な論理で動くもの」が「動物」なのでしょう。人間関係や社会に対して一定の距離を置く傾向にあるオタクたちの生態が分かりやすく捉えてある評論でした。「大きな物語の失墜」というキーワードを基にモダンとポストモダンの二項対立を分かりやすく解説してくれる評論でした。輪読を終えてからマリー・ローランサンの絵画を紹介するDVDを30分ほど観ておきました。
 今朝は8時半過ぎには家を出ました。2限にオムニバスの「情報処理と言語文化」の授業が入っています。コンピュータにログインする際のIDとパスワードを記した紙を持って3504教室に移動しました。IDとパスワードを入れてコンピュータを起動したのですが、大学院生の助手のMさんがまだ現れません。どうしたのだろうと思っていたら学生諸君の中の一人が「先生、この時間は自由時間の筈ですよ!」と言うのです。情報処理課に行って確認したら、まだ10時前の時間なのでした。全く私のミステイクです。すっかり私の頭は惚けてしまったのでしょうか。朝方、学生諸君に見せるためのパワーポイントのスライドを数本厳選して選んでおいたことを思い出しました。「惚け」に関しては「俺のことなら放うっといて」とでも投げやりに言っておきましょう。こんなことは「良くあることさ!」と開き直ることしかなさそうです。