「アフリカで子供が飢えているときに文学に何ができるか」

takuzemi2013-11-06

 昨日の4限の4年生のゼミではアラブ文学者の岡真理さんの「棗椰子の木陰の文学」を輪読しました。批評文の冒頭からサルトルの言葉「アフリカで子供が飢えているときに文学に何ができるか」という重い問い掛けが引用されます。戦火にさらされるイラクの都市バスラに美しい棗椰子のイメージが重ねられているのです。豊かに生い茂る棗椰子の森は「楽園」のイメージだったのですが、「戦争の惨禍」により焼き尽くされた棗椰子の森は「喪失の痛み」を伝えるものでしかありません。棗椰子が象徴するものは大切な生の一部、故郷の原風景、記憶の一部へと続くものなのです。
 2限の時間帯は3504コンピュータ・ルームで「情報処理と言語文化」の授業を行ないました。クラウド・コンピューティングに付いて、iTunesの利用法に付いて、フランス語のテキストデータ満載のATHNAのサイトに付いてなどを語りました。学生諸君にWeb上のデータを調べる時間を取ってから研究室に早めに戻りました。独仏準備室に移動して11月会議予定をメモしておきました。能率手帳に11月の会議予定と全ての授業の予定を書き込んでおきました。私の友人の水澄子さんは日頃から「不確定要素が確定していく快感」ということを言っていましたが、私も同じようなことを感じました。デビッド・アレンさんが提唱するGTD(Getting Things Done)に通じる手法だと言えるかも知れません昼休みには「情報処理と言語文化」のアシスタントをしてくれている大学院生のMさんが、この授業の出席簿のコピーを持ってきてくれました。出席状況だけでこの授業の採点をしてしまうつもりです。