結末が多義的で読者たちの一元的な読解を阻む場合もあるでしょう。

takuzemi2014-02-18

 小説の中には作者が読者たちに伝えたかったメッセージが一つあるいは複数書き込まれているはずです。それをいつも読者たちは正確に読み取ってくれるとは限りません。結末が多義的で読者たちの一元的な読解を阻む場合もあるでしょう。時には作者は一義的な結末を付けることを放棄してしまうこともあります。この場合には作品はいわゆるオープンエンディングの結末を持つことになります。夏目漱石の作品にはオープンエンディングの作品が多いことは周知の事実です。そうした作品では可能な結末を夢想する権利が読者たちに丸投げされてしまうわけです。それでも私は「作品は作者から独立したもの」という構造主義批評の立場には立ちません。『方法序説』はルネ・デカルトのメッセージが書き込まれた作品です。『パンセ』は同様にブレーズ・パスカルのメッセージが書き込まれた作品です。それと同じように『こころ』には夏目漱石のメッセージが書き込まれた作品だと素直に受け取ることが一番だと考えるからです。『こころ』の結末は先生の死から生き残った青年と先生の未亡人・静がこれからどう生きるのかという問いを読者たちの夢想に誘います。いわばオープンエンディングの小説構造が読者たちを新たな物語へと誘うという訳ですね。ここには物語の自己増殖と言っても良いような現象が見られるような気がします。