昨日は北越谷の改札を抜けようとしていたら、黄色いオンジューム花を

takuzemi2014-02-26

.昨日は北越谷の改札を抜けようとしていたら、黄色いオンジューム花を一人の男性が配っていました。
 昨日は北越谷の改札を抜けようとしていたら、黄色いオンジューム花を一人の男性が配っていました。もちろん私も一本頂いて持ち帰ることにしました。3月1日の土曜日に終活講座「老後の暮らし方」を開催しますと書いてありました。どうやら葬儀事前相談関係の話題だと分かりました。そのまま中目黒行きの電車の乗って上野駅で下車しました。京浜東北線で東京まで移動して先週の土曜日に訪れたばかりのブリヂストン美術館を再訪しました。私の友人の岩佐倫太郎君が書いた本「印象派琳派がわかれば絵画が分かる」(舵社)に寄れば「僕にとってブリヂストンは一種の美の教科書であり、懐かしい美の故郷であり、時々立ち帰るべき絶対基準です。多くのファンにすっかりおなじみになった名画美術館ですが、僕のお気に入りを幾つかご紹介しましょう。まづこの館の特徴のひとつ、ルノワールの作品群です。」とあり次の章で「女性美を讃歎してやまないルノワール」のことが詳しく語られるという流れです。今日も絵画を楽しむ観客はさほど多くはなく、ゆっくりと作品を楽しみながら美術館を巡ることができました。やはり印象派とポスト印象派の部屋は素晴らしいですね。ルノワールの「すわるジョルジジェット・シャルパンティエ嬢」や同じ作者の「少女」などは2回も観てしまったほどです。小さな売店ルノワールの絵葉書やジョルジュ・ルオーの絵葉書、そしてギュスターヴ・モローの「化粧」の絵葉書の5点を買い求めてブリヂストン美術館を後にしました。マフラーと厚手のコートが暑く感じられるような春めいた陽気の一日でした。友人の岩佐君が言っている「僕にとってブリヂストン美術館は一種の美の教科書」という言葉の重みを改めて噛みしめたことでした。

.今日は「生の無根拠性の感覚」に付いて考えてみましょう。
 今日は「生の無根拠性の感覚」に付いて考えてみましょう。夏目漱石は生まれるとすぐ四谷の古物商の元に里子に出されました。父直克50歳、母千枝41歳の五男です。母は高齢で漱石(幼名は金之助)を出産したことを恥じていたと言うことです。「恥じっ子」などと呼ばれていたとも言います。古物商の元からは間もなく連れ戻されますが、一歳の時再び塩原昌之助・やす夫妻の養子に出されます。この養父母は幼い漱石に向かって何度も「お前の本当にお父っさんは誰だい?」「お前の本当のお母っさんは誰だい?」と問い掛け、養父母を代わる代わる指ささせたというのですね。幼い漱石の中にダブルバインドの状況が生じたことは大いにあり得ることでしょう。自伝的小説『道草』の中に書き込まれた「生の無根拠性の感覚」はこの辺りから生じているのではないでしょうか? 自分が生きていることの根拠を掴めていない状態を哲学者のハイデッガーは「不気味なもの」と呼んでいます。『こころ』の先生にも親しいこの感覚は実は漱石が幼児期から育んできたものなのかも知れません。同じように自伝的小説『道草』においては漱石の分身である健三が幼児期に体験した庭の池で緋鯉を釣り上げようとして、翌日その緋鯉が死んでいるのを見て恐怖するというエピソードにもハイデッガーの言う「不気味なもの」のあり方が良く出ていると思います。また健三が(本人は気が付かないのですが)大きな芸者置屋のような建物の中を独りで彷徨うというエピソードにも「生の無根拠性」の本質が良く表現されていると思います。