子供のための読み物ですが、最近は怪人二十面相のシリーズを良く読んでいます。

 子供のための読み物ですが、最近は怪人二十面相のシリーズを良く読んでいます。『怪人二十面相』、『妖怪博士』、『第金塊』、『青銅の魔人』、『地底の魔術王』、『透明怪人』と七冊の本を読んでみると嫌でも気付かされることがあります。それは全ての物語がハッピーエンドで終わるということです。ノモス的(規範的な状態)に戻るのですね。そして、もう一つ気付かされるものがあります。それは明智小五郎と小林少年のホモセクシャルな関係です。作者の江戸川乱歩の隠された欲望を反映したものなのでしょうか。またサディコ・マゾヒズムも作品のあちらこちらに読み取れますね。小林少年が二十面相から水責めになる場面などにそれが伺えます。
 家人は私に取っては不思議な女性です。例えば水歯磨きの「コンクール」が無くなると、手品みたいに何処からか出してくるのですね。そして玄関に置いてある小さな額縁の絵も知らぬ間に取り替えてあるのです。いつの間にかセザンヌの「林檎の絵」になっているのですね。そして、お風呂場の石鹸が無くなると、いつの間にか新しいものに変わっているのですね。当たり前と言えば当たり前の話なのでしょうが、私に取っては不思議に思われてなりません。
 週末のたっぷりある時間の中で文学のハンドアウト集を読み直しました。かなり先の講義となるのですが、水村美苗さんの「「男と男」と「男と女」」を読み直しました。それから熊倉千之先生の『漱石のたくらみ』(筑摩書房)からの抜き書きの「漱石の『明暗』を読む」も読み直しておきました。熊倉先生は主人公の津田由雄が自分の誤りを認めて、お延に謝るという結末を想定しています。