『ちくま評論選』(筑摩書房)所収の黒崎政男さんの「<私>はどこへいく?」を読みました。

 4限の4年生のゼミでは『ちくま評論選』(筑摩書房)所収の黒崎政男さんの「<私>はどこへいく?」を読みました。デジタル・テクノロジーの普及に寄り<私>という存在が、何か別のものに変わってしまうという不安をまともに描き出しているテクストです。
 フーコーのパノプチコンは中心に監視塔が有り、回りに囚人たちの独房が円形に配置されていたのですが、21世紀のパノプティコンは個人がデータベースに情報を蓄積することで成立するのですね。そして個人が逆は逆にそうしたデータベースにデジタル・テクノロジーに寄って支配されることになる。これは「反・天国」の一種と言っても言っても良いかも知れません。なぜなら人間の主体性が全く否定されて、「主体的な私」ではなく、「身体=ものとしての<私>」が成立することになるからですね。
 テクストを輪読してから、ルノワールのDVDを30分ほど観ました。「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」、「読書する女」、「ピアノを弾く娘たち」、「ぶらんこ」、「雨傘」、「田舎のダンス」、「シャルパンティエ夫人と子供たち」などの色彩豊かな名作が並びます。
 ゼミの最後の時間には学生諸君の近況を書いてもらいました。企業のグループ・ディスカッションに参加した人、テニスの大会に参加した人、口の中を火傷した人、春日部でコナンの映画を観てきた人、韓国語で親不知という単語を学んだ人、専門学校に授業見学に行った人、文教大学の近くのお好み焼きの店に行った人、運転免許の更新に鴻巣まで行った人、台湾語の講座を取ってみた人と実に様々でした。