ゆっくりと木曜日に予定している「文学」の下調べに取り掛かりました。

 昼食を済ませてから、ゆっくりと木曜日に予定している「文学」の下調べに取り掛かりました。千種キムラ・スティーブンスさんの『『三四郎』の世界(漱石を読む)』(翰林書房)からの抜き書きを中心に作ったハンドアウトを使う予定です。千種さんは主人公の三四郎の目を脱構築する別な視点の存在を強調しています。それは「局外の語り手」であり、三四郎の立場を批判的に捉え直す抽象的な視点が存在するのですね。また『三四郎』に出てくる画家の原口が特権的な役割を担っていることは明らかです。原口は「心が見世を出している所」を見ろと言うのです。人物の表情、目の動き、発する言葉、体の動きを見ろと言うのです。美禰子に当てはめれば彼女の恋の対象が誰なのかも明瞭になるかも知れません。また千種キムラ・スティーブンスさんがロンドンで学んでいたとき、はっきりと「これは喜劇だ」と感じたことを告白しています。名古屋で同宿となった女性とのエピソードがそれに当たるでしょう。この女性から「「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と言って、にやりと笑った。」と書いてあります。そこで三四郎は読んでもわからないベーコンの論文集を読む羽目になってしまうのですね。ともあれ、三四郎を取り巻く人物像が生き生きとしているのは事実です。愛すべき悪戯ものの余次郎もそうですし、世俗的な名誉を捨てて高校教師に甘んじている広田先生もまっとうに造形されていると思います。美禰子を始めとした、こうした登場人物群が『三四郎』を永遠の青春小説としていることは疑いを容れません。