4限の4年生のゼミでは吉見俊哉さんの「ディズニーランド」を読みました。

 13時からの「演劇論」では725教室でアイスキュロスの「オレスティア」三部作に付いて語りました。古代ギリシャの春のオディオニシュア祭からギリシャ悲劇が発生したことを語りました。これはデヘオニッソスに捧げられるもので、ディオニッソスは豊穣とブドウ酒と酩酊の神でもあり、死と再生を司る神でもあることを付け加えておきました。ギリシャ人なら誰でも知っている神話を選んで、意外性を打ち出すという「既視感からの開放」を選び取ったのはアイスキュロスの悲劇詩人としての才能も凄かったのだろうと痛感しました。ギリシャ人なら誰で意外性を打ち出すというも知っている「既視感からの開放」を選び取ったのはアイスキュロスの悲劇詩人としての才能も凄かったのだろうと痛感しました。最後はエウリピデスの「オレステス」(p.30)を観てもらいました。アイスキュロスの作品が日本では全く市販さえていないので、やむを得ないことでした。
 4限の4年生のゼミでは吉見俊哉さんの「ディズニーランド」を読みました。吉見さんはディズニーランドは「空間的な閉鎖性・自己完結性」を特徴としていると断言しています。また「観客の視界に外部の異化的な現実が入り込む可能性は最大限に排除され、演出されるリアリティの整合性が保証されている(p.30)と断言しています。また「観客の視界の外部の異化的な現実が入り込む可能性は最大限に排除され、演出されるリアリティの整合性が保証されている」(p.30)と断言しています。ディズニーランドは全体像と部分像のどちらかがあてはまるのかと言えば、やはり部分像の方のでしょうね。観客は外部を見ることもなく、与えられた役柄を楽しげに演じるように強いられているからです。4限の4年生のゼミでは「ディズニーランド」を輪読しました。輪読が終わってからクリムトの絵画を紹介するDVDを観ました。「水蛇」、「愛」、「花嫁」、「接吻」などの金箔を散りばめた絵の数々がゴージャスなイメージを醸しだしていました。