10日の土曜日の朝は4時過ぎに目が醒めてしまいました。

takuzemi2014-05-10

 昨日は午後になって大雷雨が有りました。一時はどうなることかと心配する程、雨が激しく降ったのですが、それもひとときの事で一時過ぎには小降りになってくれました。そんな訳で、5限の3年ゼミまでかなりの時間が有るので、大学図書館まで本を読みに出掛けました。翰林書房の「漱石研究」のバックナンバーを読んで楽しんだのですが、『明暗』のポリフォニーに付いて、漱石の作品に初めて自分の言葉で語れる女性が出てきたことなど、まずまずの成果を挙げることができました。研究室に戻ったら多文化準備室の助手のMさんが「文学」の新しい受講者名簿とコーヒーを持ってきてくれました。単位互換制度を利用して獨協大学から来ている2名の学生諸君と日本工業大学から来ている1名の女子学生を加えた名簿です。先週の5月1日のデータを転記しておいたことは言うまでもありません。
 10日の土曜日の朝は4時過ぎに目が醒めてしまいました。さっそく漱石の『吾輩は猫である』に付いての論文草案を考えました。ざっと簡単なマインド・マップを作ってから始めたのですが、「吾輩」が森羅万象を言語化する存在であること、それはビールに酔っぱらって瓶に落ちて死ぬ直前まで自分の身の回りを言語化して止まないことからも分かります。それから海野弘氏が展開している「吾輩」イコール「珍野苦沙弥」説を批判しておきました。ニーチェ的な超人の意味を付与されている「吾輩」に対して、「苦沙弥」は友人の迷亭にも小馬鹿にされる限定的な存在だからですね。限定的な存在だから、漱石の戯画の反映としても成立するのです。