熊倉先生はまた『門』を漱石の自伝として解読することを勧めています。

 朝は11時12分の東京行きの武蔵野線で移動を開始しました。車中では幸い座席に座ることができたので、カズオ・イシグロさんの『遠い山なみの光』を読みました。新越谷の駅の構内の小諸蕎麦で天麩羅蕎麦を食べて行くのが私の定番となったようです。昼休みにはM君ともう一人のM君の二人の男子学生が「学びのポートフォリオ」の面談にやって来ました。二人ともロンドン語学文化研修を体験していて、英語の学習にもモチベーションが高いらしく、頑張って勉強を続けなさいと言っておきました。
 文学では熊倉千之先生の『漱石の変身』(筑摩書房)からの抜き書きから作ったハンドアウトを利用して講義を続けました。起承転結になぞらえて展開が書いてあるので学生諸君にも理解しやすかったと思います。『門』の登場人物の一人に坂井という大家が居ますが子沢山で遊んで暮らしている高等遊民です。この坂井こそが野中宗助が入門すべき「老師」なのだと熊倉先生は喝破しているのですね。熊倉先生はまた『門』を漱石の自伝として解読することを勧めています。お米が裁縫をしている場面が何度も出てきます。それはお米の本性が「文学」、つまり織物であることの指標として機能していると言うのですね。漱石の主人公は馬鹿が揃っているとも熊倉先生は指摘しています。『明暗』の津田由雄は「馬鹿になっても構わないで進んで行く」と言います。『それから』の長井代助は「自分の頭が焼き尽きるまで電車に乗って行こう」と言います。三四郎は名古屋の女から「あなたは余程度胸のない方ですね」と言われます。これらのエピソードは主人公たちが発展途上にいることを示唆しているのでしょう。だから、これから変身する可能性を示唆しているのです。