昨日の夕方には大学時代の友人の岩佐倫太郎君から電話が有りました。

takuzemi2014-05-26

 昨日の夕方には大学時代の友人の岩佐倫太郎君から電話が有りました。近々上京するとのことで、千葉に住むもう一人の友人の井上高一君とも落ち合って一緒に呑もうと言うのですね。岩佐君は『印象派琳派がわかれば絵画が分る』(舵社)と言う本も書いていて私に取ってはレフェランスブックと言っても良い本です。例えば6月6日に家人と私の二人で「山のホテル」に一泊で行く予定が有るのですが、ポーラ美術館に立ち寄ってくる予定でいるのです。岩佐君の本に寄ると「箱根の美しき宝石箱、ポーラ美術館」と言う表題が付いていて、その後細やかに美術館の美点が列挙されるのですね。「畏友」と言う言葉を使っても、まだ言い足りない貴重な友人です。
 朝の起き抜けの時間には昨日書いた漱石論を親指シフトのノートパソコンから打ち直しました。内容は夏目漱石の作品群がオープンエンディングの作品が数多いと言うことで、『それから』と『三四郎』の結末部分を引用して例証しておきました。例えば「三四郎は何とも答えなかった。ただ口の中で迷羊、迷羊(ストレイシープ)と繰返した。」と有って、この作品も判断停止とオープンエンドの結末を備えていると言えるでしょう。オープンエンドの特徴とは読者に判断を委ねること、正解がいくつも有ること、伏線をあえて回収しないこと、読者に判断を委ねること、正解がいくつもあること、読者それぞれが自由に解釈することができる終わり方のこと、などの特徴が有ります。夏目漱石は明治の時代からいち早くポストモダンの状況を生きていたと言うことができるでしょう。出来上がったテキストファイルをWzエディターのアウトライン形式にして一仕事が終わりました。