稲荷山公園に米国の軍属関係の家々が建ち並んでいたのですね。

takuzemi2014-05-27

 私の中学校時代の友人に平野君と言う少年が居ました。平野君は英語を学ぶことが大好きで、後にその才能を生かして商社マンとなったと記憶しています。話しは中学時代のことです。まだ、その頃は狭山市入間市の中間に位置する稲荷山公園に米国の軍属関係の家々が建ち並んでいたのですね。どれも木造の白い家々だったと記憶しています。平野君はそうした家々に出入りして、片言ながら英語で会話をするのですね。昨日、テレビでニール・セダカの「恋の片道切符」を聴いて鮮明に平野君の記憶を蘇らせたのですね。アメリカの青年に何度も「恋の片道切符」のドーナツ盤を繰り返して聴いてもらい、歌詞を手書きで書き写してもらったのです。私もそのお零れに与ったのは言うまでもありません。
 昨日はテレビの下の物置を物色していたら「パリ 2002」と題するCDが出てきました。忘れていたのですが、確かに私自身が作成したCDで、もう12年も経つのですね。パリに10日間程滞在し、シャンソン喫茶の「ラパン・アジール」やモンマルトルの「ダリ美術館」を訪問したことが有りました。「ダリ美術館」では現地の人々を引き連れた女性のキュレーターの方の発音が美しく、私にも良く聴き取れたことを覚えています。「マルモッタン美術館」まで遠出してクロード・モネの作品群を鑑賞したのも懐かしい思い出です。中でも逸品の「印象・日の出」は盗難を恐れてか、アクリル板に挟まれた姿で展示されていたのが印象的でした。私の滞在したホテルの近くに「シャルトル」という食堂が有り、ルイ・アラゴンの『屋上席の旅行者たち』の主人公のアルマンとその父が会食するのですね。同じ「シャルトル」で食事をしていたら私の出身校の川越高校の卒業生が3人もやって来ていて、これは嬉しい出会いでした。