朝は5時前に目が醒めてしまいました。漱石論のアイデアが浮かんできたのです。

takuzemi2014-05-29

 朝は5時前に目が醒めてしまいました。漱石論のアイデアが浮かんできたのです。簡単なマインド・マップを作成して原稿を書きました。およそ5時から5時45分まで掛かりました。unicodeのテキストファイルに加工して一件落着となりました。今朝方書いた原稿はおよそ次のようなものです。
 「自分の言葉で語れる女に付いて」考えてみました。『草枕』の画工は邦美のことを「やはり女だな」と女性蔑視と思われる言葉を独白すます。ところが那美は振袖を着て、見られる女から見る女へと変身するのです。ここには客体としての存在から主体としての存在への変化、また受動的な存在から能動的な存在への変化も同時に認められるのですね。那美は私に言わせればギュスターヴ・クールベの「波」を思わせる荒々しい存在ですね。恐らく那美という名前自体も動的で荒々しい「波」を意識して付与されたものなのでしょう。那美は『草枕』の後半で「自分の言葉で語れる女」に変身します。「わたしが? わたしが軍人? わたしが軍人になれりゃとうになっています。今頃は死んでいます。久一さん。御前も死ぬがいい。生きて帰っちゃ外聞がわるい」(岩波文庫p.167)などと言う部分に「自分の言葉で語れる女」が明瞭に認められるのですね。
 『それから』の三千代や『明暗』のお延も詳細に点検することは、ここでは敢えてと行いませんが、こうした「自分の言葉で語れる女」の系列を踏む存在だと付け加えておきましょう。繰り返しになりますが「自分の言葉で語れる女」とは、客体としての存在から主体としての存在へと変貌する女性、また受動的な存在から能動的な存在へと変貌する女性を意味するのですね。