私の菩提寺の狭山の天岑寺を訪れました。朝は8時48分の府中本町行きに乗って移動を開始しました。

takuzemi2014-06-14

 私の菩提寺の狭山の天岑寺を訪れました。朝は8時48分の府中本町行きに乗って移動を開始しました。残念なことに慌てて家を出てきたので車中で読む本も一冊も有りません。新秋津で下車して、お墓に供える花束を買いました。所沢の駅では本川越行きの特急が先着する予定で、しばらく待合室で待機しました。狭山市駅東口から狭山台団地行きのバスに乗りました。しばらく走ると懐かしいお店が見えてきました。燕京という屋号の中華料理屋には子供たちと連れ立って良く食事に通ったものでした。貧しかったその頃の私に取って燕京で食べる食事は特別な御馳走だったのですね。また本屋の楓さんにも子供たちが小さかった頃足繁く通ったものでした。新秋津からの帰路には11時33分発の東京行きに乗ったのですが、突然ランボーの「地獄の季節」の一節「おお 季節よ 城よ 無傷な魂などどこにいよう」と言うフレーズが頭の中に浮かんで来たのです。私としても困惑するほどの強さでこの一句が浮かんだのですね。また木馬歯科という歯医者さんにも良く通ったものでした。院長さんの名前は忘れてしまったのですが、ブラッシングに熱心なお医者さんでした。一回一万円も料金を取られる歯磨き体験にせっせと通っていた院長先生でした。そんな訳で私も家人もしばらくは宗教的な熱心さを持って木馬歯科に通っていたらしいのですね。正午を5分ほど過ぎて自宅に戻りました。生活費が無くなってしまったのでマンションの2階の自動現金支払機に移動しました。いつもの金額を降ろして、ちょっとばかり豊かな気分になりました。