文学の講義の残りの5回のハンドアウトを確定しました。

 文学の講義の残りの5回のハンドアウトを確定しました。第11回は「『こころ』の先生が自殺した訳は?」、第12回は「レトリックの周辺」、第13回は柄谷行人「内側から見た生」、第14回は「カオスの遇し方 イデオロギー装置としての物語」、第15回は「漱石の『明暗』を読む」と題して講義を行う予定です。第11回の「『こころ』の先生が自殺した訳は?」では一人称の語り手から見た敬称や愛称で呼ぶことで、読者にまるで友人か身内かと思われるような近しい語り手が、特別な親近感を感じさせることを強調してお話ししたいと思っています。第12回の「レトリックの周辺」では高名の言語学者佐藤信夫氏の『レトリック感覚』(講談社)から引用・構成して作ったハンドアウトを使用するつもりです。これは佐藤氏の論拠が手堅いので、そのままハンドアウトに忠実に講義を進めれば充分だと思っています。第13回の柄谷行人「内側から見た生」は「ユメ十夜」のDVDが有るので、学生諸君に充分に楽しんでもらえると思っています。第14回の「カオスの遇し方 イデオロギー装置としての物語」は土田知則氏と青柳悦子氏の二人の碩学が語っていることを淡々となぞれば良かろうと思っています。第15回の「漱石の『明暗』を読む」では私が大変お世話になった熊倉千之先生の『漱石のたくらみ』(筑摩書房)からの抜き書きを再構成したハンドアウトを使います。熊倉先生は二十八歳の漱石に『草枕』に描かれているような「悲しみの、極みの想い」が有ったと判断しています。『明暗』の清子のように、その娘が突然漱石に背を向けて他の男のもとへ行ってしまったのです。そこに漱石の二十八という数字への拘りが生まれたのだと断言しても良いでしょう。