私が私立T大学の非常勤講師を務めていた頃、S君という学生がいました。

takuzemi2014-07-02

 私が私立T大学の非常勤講師を務めていた頃、S君という学生がいました。高校時代から一関のジャズ喫茶「ベイシー」に入り浸っていたのですね。そのために大学に入ってからはジャズに飽きてしまったのかも知れません。大学生になってからはヘヴィー・メタルに転向して、私に熱心にイングヴェイ・マルムスティーンを紹介してくれたのですね。S君の勧めもあってイングヴェイは良く聴きました。ほとんどのCDを持っていた頃もありました。一家で外語大の学園祭を覗いたことがありました。学生諸君がイングヴェイ・マルムスティーンの曲を演奏していて、一家で快哉を叫んだこともありました。遠い遠い昔のことです。
 同じT大にはH君という学生もいました。彼はガールフレンドと一緒に西武球場で開催される「ハウンドドッグ」のコンサートに行こうと思っていたらしいのですね。ところがガールフレンドに断わられてしまったらしく、私にお鉢が回ってきたのです。コンサートが最高潮に達したとき、猛烈な雷雨が西武球場を襲ったのです。帰りの電車は若い人々が満員で、蒸し風呂のような暑さでした。
 T大の商学部の学部長まで務めた先輩のU先生も膵臓ガンであっけなく亡くなりました。ある年、体育推薦で入学した学生諸君のクラスを受け持ったのです。90分ほどの朝の練習を終えた彼らはフランス語の学習を受け入れる気力もありません。U先生にお世話になった記憶も有って、一年だけ耐えようと思って頑張りました。T大には非常勤の友人たちも多く愛着が有ったのですが、残念ながらその年の年度末にはT大を退職したものでした。退職した時に貰ったPelikanの万年筆は今でも大事なお宝として取ってあります。