昨日の8月14日の朝日新聞の声欄には檀さんという方の投書が載っていました。

takuzemi2014-08-15

 昨日の8月14日の朝日新聞の声欄には檀さんという方の投書が載っていました。「昭和20年代 怖かった肝試し」というタイトルで、高校生や中学生が葉書大の紙に幽霊や鉄仮面などの怖い絵を描き町外れにある寺の土塀の内側に張り付けておくのだそうです。小学生はその紙を一枚取ってくるのが義務らしいのです。檀さんは「無事に生還すると、誕生日でもないのに一つ年をとった気分になった。」と記しています。まさしく通過儀礼のようなものだったのでしょう。檀さんは「かくれんぼの鬼とかざれるまま老いて誰をさがしにくる村祭」という短歌を引用して、「秋の気配を感じるころ、この歌と共に肝試しの夜がよみがえる。」と記しています。国文社の現代歌人文庫『寺山修司歌集』は手元に持っているのですが「かくれんぼ」の一首は迂闊にして知らなかったですね。私に取っては「燐寸擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」の方が親しい感じがします。また「きみが歌うクロッカスの歌も新しき家具の一つに数えむとする」の一種も良いですね。寺山修司が「短歌研究」新人賞を受賞した直後に起きた模倣・盗作問題もポストモダニスト寺山修司という像を導入するとオリジナルとコピーの優先順位が失効する訳ですから、主体とか内面の表現の根拠があるとする近代の自我信仰の神話自体が失効するのだと吉田文憲氏は指摘しています。寺山修司は死してなお論争を引き起こす起爆剤としての役割を果たしているのでしょう。