テレビのスィッチを切って、家人と二人で宮崎駿監督の『風立ちぬ』を観ました。

 朝方はテレビのスィッチを切って、家人と二人で宮崎駿監督の『風立ちぬ』を観ました。冒頭からポール・ヴァレリーの「風立ちぬ、いざ生きめやも」の一句が飛び込んできます。少年の堀越二郎が夢の中で小さな飛行機に乗り込みます。背景には日本の国土の美しさが強調されています。屋根に登って夜空の星を眺める二郎に、妹の加代が合流します。二郎は近眼が気掛かりなのでしょうか。カプローニが二郎を「日本の少年」と呼び掛けます。ナショナリズムを思わせるような気がします。15分後には関東大震災の波面が始まります。侍女のお絹が足首を挫いてしまいます。手当てのために計算尺を当てて包帯を巻きます。菜穂子が二郎に返してくる計算尺は愛の贈与のメタファーとも取れます。日本の国土は「壊れ物」なのだと当たり前の事実を再確認させられます。関東大震災では死者・行方不明者の合計で10万5千人余と言うことです。東北地方太平洋沖地震では死者・行方不明者を合計して1万8、500人。関東大震災の死者・行方不明者が多かったのは木造の家屋が多かったためでしょうか。里見菜穂子と堀越二郎が驟雨に襲われる場面が有ります。やがて空が晴れ、虹が二人の頭上に輝きます。二人の束の間の幸せを象徴しているのだろうと思いました。黒川夫妻の結納で結婚する場面は良かったです。菜穂子が短い生涯を送ることは何度もこの映画を観ている私には良く分かっているからです。ラストシーンで菜穂子の幻影が出てくるのが一つの救いだとも言えるでしょうか。