否定的な感情が書き込まれているテクストに付いて考えてみました。

takuzemi2014-08-26

 否定的な感情が書き込まれているテクストに付いて考えてみました。喪失感とか無力感とか、マイナスの感情が書き込まれているテクストは無数に存在します。初期のアラゴンの詩や散文は否定的な感情のオンパレードでした。例えばアラゴンの「廃墟に叫ぶ歌」の結末に近い部分にはこんな言葉が有ります。「唾しよう さあ 我々がともに愛したものの上に 唾しよう愛の上に 我々の乱れた床の上に 我々の無言 我々の痴語の上に」と続きます。村上春樹の『ノルウェイの森』も夏目漱石の『こころ』もマイナスの感情が書き込まれているテクストです。お嬢さんと一緒に帰ったKに対する先生の嫉妬がその事実を良く物語っていると思います。主人公や様々な登場人物に感情移入しながらテクストを読む読者も否定的な感情を追体験することになります。村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』では間宮中尉が語る間諜である山本の皮剥の場面では本当に痛みを感じてしまいました。あながち私が山本であるばかりではないと思っています。この描写が真実味を帯びていたことが理由の一つなのです。それでも私は「痛」かったり、「辛」かったりするベクトルが書き込まれているテクストはそれなりに価値が有ると考えています。私の祖母は生前「苦の娑婆だねえ」と何度も繰り返して語っていたのを覚えています。一種の口癖だったのかも知れません。生きることは楽なことではない、それは人生に於ける普遍的な真実なのです。上に挙げたアラゴンの作品や漱石の『こころ』、村上春樹の『ノルウェイの森』などがその例証になるはずです。