ウェイン・ブースが作った用語に「信頼できない語り手」と言うものがあります。

takuzemi2014-09-02

 アメリカの文芸批評家ウェイン・ブースが作った用語に「信頼できない語り手」と言うものがあります。芥川龍之介の短編「藪の中」などはさしずめ7人出てくる語り手の全てがこの「信頼できない語り手」に当てはまってしまいます。夢野久作の「ドグラ・マグラ」の語り手は狂人であるらしく語られる内容が事実か否か判断できません。これも「信頼できない語り手」に当てはまると言って良いでしょう。千種キムラ・スティブンさんは夏目漱石の『三四郎』に付いての研究書の中で視点人物であり語り手でもある三四郎を判断力が不十分な存在だと位置付けています。つまり三四郎の判断を読者にそのまま鵜呑みにしないように呼び掛けているのですね。なるほど登場人物たちの中には真正でない偽のメッセージを投げ掛けてくる者も時として存在しています。小説の作者たちがこうした「信頼できない語り手」を作品中に導入するのは読者の判断をミスリードして一種のゲーム性を目指しているのかも知れません。読者に挑戦しつつ「分かるかね、君は?」と作者は読者に目配せを送るのです。
 朝は7時50分に家を出て別所沼まで散歩に出掛けました。久し振りに青空が出て、気分も上々です。「花と緑の散歩道」は通勤客ばかりでいささか退屈でした。散歩道は風が吹き抜けていて爽快な感じがしました。服部外科胃腸科病院の駐車場に芙蓉の花が咲いています。ピンクや白の花が咲き乱れていて、花の盛りがまだまだ続くようです。別所沼に着いて埼玉県原爆死没者慰霊の碑に合掌しました。別所沼弁財天を訪れて賽銭を上げて柏手を打ちました。時計回りで別所沼を一周しました。うなぎと川魚の別所は本格的に取り壊しが始まったようです。