「お前の本当のお父っさんは誰だい? お前の本当のお母っさんは誰だい?」

takuzemi2014-09-10

 「生の無根拠性」の感覚に付いて考えてみました。夏目漱石は生まれるとすぐ四谷の古物商に里子に出されました。父直克五十歳、母知恵四一歳の五男です。母は高齢で漱石を出産したことを恥じていたと言います。里子からは間もなく連れ戻されますが、一歳の時再び塩原昌之助、やす夫妻の養子に出されます。この養父母は幼い漱石に向かって何度も「お前の本当のお父っさんは誰だい? お前の本当のお母っさんは誰だい?」と問い掛け、養父母を代わる代わる指ささせたと言うのですね。幼い子供の中にダブルバインドの状況が生じたことは有り得ることです。自伝的小説『道草』の中に書き込まれた「生の無根拠性」の感覚はこの辺りから生じたことは有り得ることです。自分が生きていることの根拠を掴めていない哲学者のハイデッガーは「不気味なもの」と呼んでいます。『こころ』の先生にも親しいこの感覚は実は漱石が幼児期から育んできたものかも知れません。
 『道草』の中にこんなテクストが有ります。「或日彼は誰も宅にいない時を見計《みはから》って、不細工な布袋竹《ほていちく》の先へ一枚糸を着けて、餌《えさ》と共に池の中に投げ込んだら、すぐ糸を引く気味の悪いものに脅かされた。彼を水の底に引っ張り込まなければやまないその強い力が二の腕まで伝った時、彼は恐ろしくなって、すぐ竿《さお》を放り出した。そうして翌日《あくるひ》静かに水面に浮いている一尺《しゃく》余りの緋鯉を見出した。彼は独り怖がった。……「自分はその時分誰と共に住んでいたのだろう」
 彼には何らの記憶もなかった。彼の頭はまるで白紙のようなものであった。けれども理解力の索引に訴えて考えれば、どうしても島田夫婦と共に暮したといわなければならなかった。」