パット・メセニー・グループの「静かな生活」を聴きながら昔のノートを読み直してみました。

takuzemi2014-11-01

 雨降りなので別所沼への散歩を断念し書斎で娘が誕生日に贈ってくれたパット・メセニー・グループの「静かな生活」を聴きながら昔のノートを読み直してみました。ノートは三四郎が地方出身者であることを重点に置き、地方出身の三四郎と都会のお嬢さんの美禰子との対比やコントラストを強調することによって笑いを生むという構造だと解いています。『坊ちゃん』の中では田舎者を笑いのめす差別主義者の漱石が浮かび上がってきます。漱石の俳句を見ると「木瓜咲くや漱石拙を守るべく」や「菫ほどの小さき人に生まれたし」などの余裕のある明るい漱石が見えてきます。『門』の宗助が日向ぼっこをしているようなふんわりとした世界が漱石には確かに有ったことが見えてきます。宮井一郎氏は「明るい漱石」と言う言葉を使っています。「世の中は広い。広い世の中に住み方も色々ある。」と語っているのですね。若林幹夫が『漱石のリアル』で使っている用語にハイデッガーの「不気味なもの」という用語が有ります。自分がなぜここにいるのか、なんのためにここにいるのかが分からない自分の生の根拠が分からない、言い換えれば「生の無根拠性」と言っても良いでしょう。『こころ』の先生は家を自殺させて、近代的な個として生まれ変わるのですが、都会人として生き始めた先生には「不気味なもの」が取りついているのです。漱石のテーマには「馬鹿な男」としての主人公と言うものが有ります。『虞美人草』の小野さん、『三四郎』の三四郎、『それから』の代助、『門』の宗助などが代表ですね。漱石自身が過去の自分の分身をロマネスクな空間に投影して動かしてみているのでしょう。そこからは知を、直覚を身に付けろと若者にアドバイスする漱石が見えてきます。