1限の多文化理解概論では「近代化の諸問題〜オースマンのパリ改造について」と題してお話ししました。

takuzemi2014-11-12

 1限の多文化理解概論では「近代化の諸問題〜オースマンのパリ改造について」と題してお話ししました。ハンドアウトに即してフランスでは、小説を書く人間は、十八世紀には少なからずいたが、小説を書くことは生計を書くことをできない人間、すなわち小説家は十九世紀になるゆえ、書物はまで誕生しなかった。答えは識字率の低さゆえ有産階級の贅沢品にすぎなかったこと、大衆娯楽の中心は演劇に有った。そのため、文学で金を稼ごうとすれば劇作をやるほかなかったこと、著作権や印税という概念が乏しかったため、いくらベストセラーになろうとも、著者の懐にはわずかな金額しか入ってこなかったことなどをお話ししました。ところが大革命が起こり、アンシャン・レジームが崩壊したあとフランスあとナポレオン帝政、王政復古と時代が移るにつれ、フランスの文学状況にも大きな変化が現れた。革命戦争で国民皆兵となり、識字率が向上した。ナポレオン没落後、軍歴より学歴が重視される風潮が強まり、プチブル階級が書物に親しむ機会が増えた。都市部、とくにパリで学生数が増加し、単身者の比率が大きくなったため孤独の時間をつぶす必要が生まれた。革命戦争で国民皆兵となり、識字率が向上した。ナポレオン没落後、軍歴より学歴が重視される風潮が重視される風潮が強まり、プチブル階級が書物に親しむ同時に、地方でパリで、学生数が増加し、単身者の比率が大きくなったため孤独の時間をつぶす必要が生まれました。同時に、地方でパリにあこがれる若者の数が増えたのでした。関連するビデオ『古地図で旅する都市物語〜パリ』を観て授業を終えました。