午後はパナソニック汐留ミュージアムを訪問して「ジュルジュ・デ・キリコ−変遷と回帰」展を観賞しました。

 美術館の会期と言うのは曲者だとは私が常々考えていることです。Bunkamuraザ・ミュージアムの「夢見るフランス絵画−印象派からエコール・ド・パリへ」も終わってしまいました。ピーエル=オーギュスト・ノルワール「宝石をつけたガブリエル」や東京都美術館で開催されていた「ウフィツッ美術館展」のサンドロ・ボッティチェリの「バラスとケンタウロス」ももう観ることはできません。
 午後はパナソニック汐留ミュージアムを訪問して「ジュルジュ・デ・キリコ−変遷と回帰」展を観賞しました。デ・キリコの作品は、現実と非現実の境を行き来し観る者の不安や困惑を誘う一方で、その芸術に隠された謎ゆえに、私たちを惹きつけてやみません。自画像はうっすらと顎鬚を生やした自画像で不精そうな印象を受けます。その代わりに手は無骨で数多くの作品を生み出した画家の手だとの印象を受けました。「林檎と葡萄のある静物」はリアルな油彩画で林檎と葡萄が白い布の上に置かれているだけで他の小細工は一切有りません。素朴さに好感を持てました。「谷間の家具」は一転してシュールな感じを受けます。椅子が二脚と石膏の足首が転がっています。不思議な印象を受けたものでした。「赤と黄色の布をつけた裸婦」はパネルに寄ると妻のイザッベラ・ラ・ファーを描いた作品で、背景の海辺は画家が1920年代後半以降に描いてきた、馬のいる古代ギリシアの海岸風景であるそうで、古代ギリシアに飛んでしまうデ・キリコの感性に驚いたものでした。「秋」は豊満な裸女を秋の女神に見立てたもので乳房も膨れて垂れ下がりお尻も丸出しで下には林檎の入った篭が置いてありました。ルオー・ギャラリーでは石井大君にお会いして驚きました。文教の卒業生で小学校の教員として活躍している青年です。