南船橋行きで移動を開始しました。勿論、文教大学の卒業式に参加するつもりです。

 11時42分の南船橋行きで移動を開始しました。勿論、文教大学の卒業式に参加するつもりです。車中では幸い座席を確保できたので、古くからの友人の岩佐倫太郎君の『印象派琳派がわかれば絵画が分かる』(舵社)を読みました。「はじめに」にこんな言葉が有ります。「美術体験は大げさにいうと、個人としてのよみがえりを図ることですから。僕は絵を見て個人が解放や癒しを得ることが、美術体験の価値ではないかと考えています。」この言葉には同感してしまいます。着ぐるみも着た人も無く卒業式は粛々と行われました。卒業証明書・学位記の贈与が日本語文学科、英米文学科、中国語文学科の順番で終わりその後に外国人留学生別科の学位記が続きます。次は学長の祝辞で「入学式無しの入学式が行われたと言いました。東日本大震災のため4年前は入学式は行われなかったことを思い出しました。やなせたかしさんの詩に因んで「何のために生まれ、何のために死ぬのか?」と問う問い掛けが重要だと言う話でした。なかなか良い祝辞だと思ったことです。理事長の祝辞がそれに続きます。卒業生は素晴らしい表情をしていると言うことでした。父母と教職員の会長が祝辞を述べました。「時間を巻き戻すことは出来ない。」という言葉が有り印象に残りました。藍蓼会の会長がその後に続きます。「人間愛の教育」を強調していました。校歌斉唱が有り「堅き石にわかものはきざむ、あたらしき時代(とき)のことばを」と始まる校歌です。英米英米文学科は725大教室で卒業証書・学位記が担当教員から手渡されました。ローガン先生が口火を切って、たどたどしい日本語で「みなさん卒業お目出度う」と言いました。学科長の平川先生から祝辞が有りました。「みなさま卒業お目出度う」と言う簡単なものでした。糸井ゼミの卒業生は「白い光の中に山並みが見えて」で始まる歌を歌ってくれました。ピアノを演奏してくれた女子学生も上手でした。和気藹々の内に卒業式は終わりました。満足して自宅に帰ったことでした。