午後は乃木坂の国立新美術館で「ルーヴル美術館展」を観賞してきました。

 午後は乃木坂の国立新美術館で「ルーヴル美術館展」を観賞してきました。第1章は「すでに、古代において……風俗画の起源」と題されていて「雄牛と牛飼いを表したオストラコン」が有り、石灰岩の上に雄牛と牛飼いが描かれていました。ジョセフ=マリー・ヴィアンの「アモルを売る女」が有りアモルは小さな天使の姿で表されています。絵の中に二人の天使が居てどちらかも判別できませんでした。第2章は「絵画のジャンル」と題されれていてシャルル・ル・ブランの「キリストのエルサレム入場」は多彩な人物の特徴を描き分けていて青い衣を纏ったキリストも良く分かります。下の方で少年が犬と戯れているのが印象に残りました。フランソワ・デポルトの「狩人としての画家の肖像(自画像)」は狩人に扮したデポルトが犬や兎、雉などを従えていて大きな顔をしています。リュパンボージャンの「チェス盤のある静物」は黒と白のコントラストを示すチェス盤が有りテーブルの上に置かれたマンドリン、財布、ワイン、それから鏡なども有って、パネルに寄ると人間の五感を視覚(鏡)、触覚(財布、ワイン)、マンドリン(聴覚)を暗示していると言うことです。次の部屋は「労働と日々−−商人、働く人々、農民」と題されていて、マリヌス・レイメルウァーレに基づく「税官吏たち」が有り緑色のテーブルクロスに覆われたテーブルの上には少額のコインが沢山有ります。左側の男は帳面を付けていて、渋面を浮かべています。お近づきにはなりたくないものだと思いました。バルトロメ・エステバン・ムリーリョの「物乞いの少年(蚤をとる少年)」はパネルに寄ると陽だまりに独りうずくまり、粗末な衣服から無心に蚤をとるけなげな姿は、身の者の心に、貧しい人々への慈しみを念を掻き立てたことでしょう。」と有り私も慈しみの念を感じたものでした。ジャン=バティスト・グルーズの「割れた水瓶」は若い女が中心に描かれています。パネルに寄ると純潔の喪失をテーマにしているそうです。無垢を象徴する白い服の乱れこぼれ落ちそうな薔薇の花がそれを示しているそうです。ヨハネス・フェルメールの「天文学者」は地球儀を前にしてなかなかの迫力で天文学者の息遣いが聞こえてくるように思われました。