Bunkamuraザ・ミュージアムで「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」を観賞してきました。

 Bunkamuraザ・ミュージアムで「ボッティチェリルネサンス フィレンツェの富と美」を観賞してきました。先ず会場に入るとサンドロ・ボッティチェリの「ケルビムを伴う聖母子」が有り黄金色の光に包まれた聖母がケルビム(知天使)を抱いています。神々しい姿だと思いました。マリヌス・レイメルウァーレに基づく模写の「両替商と妻」が有り黒い服を着た両替商の隣には妻が居ます。二人の前には無数のコインが有り両替商はその数を数えているのでしょう。同じ作者の「高利貸し」が有りパネルに寄ると高利貸しが醜悪な姿で表されているのは、不正な富は無用なのだと省察するように促しているそうです。ゴシック建築のマエストロの「港の聖母子と洗礼者ヨハネ」は聖母を中心に左には洗礼者ヨハネ、下には幼子イエスが横たわっている構図で神秘的な感じを受けたものでした。サンドロ・ボッティチェリの「受胎告知」は代天使ガブリエルがマリアへ受胎告知を告げている構図で代天使ラファエルが魔除けの魚を持った少年トビアスの手を引いています。フラ・アンジェリコの「聖母マリアの結婚」と同じ作者の「聖母マリアの埋葬」が並んで置かれていて、女の一生は儚いものだと思いました。サンドロ・ボッティチェリの「聖母子と洗礼者ヨハネ」は青い服を纏った聖母がヨハネの前で幼子イエスに洗礼しています。イエスに洗礼した聖母が神々しいものに感じました。ロレンツォ・ディ・クレディの「ジャスミンの貴婦人」はパネルに寄るとジャスミンは純潔を象徴していて冷たい表情もそのためなのかと思ったことでした。フランチェスコボッティーニの「幼子イエスを礼拝する聖母子」は赤い服の上に黒いマントを羽織った聖母が幼子イエスを礼拝している構図で遠景には山々が連なっていて広大な空間を感じられました。車中では須原屋で買った伊藤比呂美さんの『女の一生』(岩波新書)を読みました。まえがきに「生まれてこの方、女であります。昔は若く、今は老いつつあります。女の苦労はたいてい経験してきました。自分であることが一生の命題でした。」と有りユーモラスな文章に笑ってしまいました。