国立新美術館で「ルーヴル美術館展 日常を描く−−風俗画にみるヨーロッパ絵画の神髄」を観賞しました。

 午後は12時21分の快速新木場行きで移動を開始しました。池袋で乗り換えて原宿で下車しました。明治神宮前で乗り換えて二駅で乃木坂に着きます。国立新美術館はすぐ近くです。生協の前売り券を買っているので一般は1600円なのですが前売り券を買っているので1400円と少し安くなります。国立新美術館で「ルーヴル美術館展」を観賞しました。副題には日常を描く−−風俗画にみるヨーロッパ絵画の神髄」を観賞しました。古代の「雄牛と牛飼いを表したオストラコン」が有り文字の筆記やスケッチなどを表す剥片・陶片を指すもので牛を飼育する人々の生き生きとした描写が目を引きました。ぶらんこの画家の「黒像式頸帝アンフォラ」は左右に仮面を付けた男が居て中心にブランコに乗った若い女が居ます。女は大きな目玉を剥き出しにして笑っているように思われます。ジョセフ=マリー・ヴィアンの「オモルを売る女」はパネルに寄ると女性たちの髪形、衣服やサンダル、脚付きの香炉などの小道具、簡素な石造りの室内などを克明に描いて人気を得たと言うことです。シャルル・ル・ブランの「キリストのエルサレム入場」は多彩な人物を描き分けています。中央には青い服を着たキリストが居て、何かを諦めるように手を広げていました。リュパンボージャンの「チェス盤のある静物」は黒と白のコントラストを示すチェス盤が右側に有り左のテーブルには財布とマンドリンが有ります。パネルに寄ると人間の五感を表現するもので視覚(鏡)、触覚(マンドリンと楽譜)、嗅覚(花)味覚(パンとワイン)を暗示していると書かれていて聖と俗が隣り合うこの小宇宙は私たちを瞑想へと誘うのです。」と有り私も色々と考えさせられたものでした。アドリアン・フォン・オスターデの「書斎で仕事をする商人」は一見すると暗い絵ですが、暗い書斎で商人が一通の手紙を読んでいます。その手紙が重要な仕事を告げる手紙であることは、商人の深刻な顔付きから良く分かります。ジャン・シメオン・シャルダンの「買い物帰りの召使い」は大きな鶏を入れた袋を手に下げて大きなパンを左手で抱えています。買い物から帰った満足感が良く出ていて、こちらも笑ってしまいました。ヘリット・ファン・ホントホルストの「抜歯屋」はパネルに寄ると縁日や通りの露店で客の歯を抜く商売であるらしく患者の目を見開いた表情に惹きつけられました。ジャン=バティスト・グルーズの「割れた水瓶」は中央に居る美女が主題だと主題だと思ったのですが、パネルに寄ると純潔の喪失をテーマにしているらしく割れた水瓶、無垢を象徴する白い服の乱れ、エプロンからこぼれ落ちそうな薔薇の花が純潔の喪失を暗示しているそうです。ヨハネス・フェルメールの「天文学者」は天文学者が地球儀に向って厳かな表情をしています。宇宙の真理を理解したいと思っているだろうと思ったことでした。(写真はジャン=バティスト・グルーズの「割れた水瓶」です。)