午後は渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで「ボッティチェリとルネサンス展」を観賞しました。

 午後は渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで「ボッティチェリルネサンス展」を観賞しました。先ず会場に入るとサンドロ・ボッティチェリの「ケルビムを伴う聖母子」が有り右手を上げて美しいポーズをとる幼子イエスと聖母が、黄金の光に包まれてケルビム(知天使)に取り囲まれています。知天使達は聖母子の手前に目立たなく描かれています。ジェンテーレ・ダ・ファブリアーノ「バーリの聖ニコラウスの奇跡」はバリの聖ニコラウスが嵐の中で遭難しそうな船を助けるために現れたという奇跡を描いたそうで、聖ニコラウスは白い服を着ていて赤いマントを羽織っていて輝く王冠を被って空中に浮かんでいます。こんな船に乗ってみたいと思ったことでした。サンドロ・ボッティチェリの「開廊の聖母」はパネルに寄るとルネサンスらしい遠近法で描かれて建築物を背にした聖母が暖かでうちとけられた雰囲気の中で欄干の上に立つ我が子を抱きしめている」と有り母子とも幸せそうに感じられました。サンドロ・ボッティチェリの「聖母子と洗礼者ヨハネ」は青いマントを羽織った聖母が幼子イエスに手を合わせています。その光景を洗礼者ヨハネが覗き込んでいます。三角形の構図でとても安定しているように感じたものでした。サンドロ・ボッティチェリ(工房)の「ヴィーナス」は「ビーナスの誕生」からビーナスのみを抜き出したそうでパネルに寄ると正統的な信仰や慎み深さに対立する冒涜的で享楽的な社会を体現するものであったと考えられるそうです。右手で乳房を隠し長い髪で陰部を隠しているのにそう考えたのが残念だと思ったことでした。行き帰りの車中では幸いにも座席を確保できたので、ジャン・グルニエの『孤島』(竹内書店)を読みました。「私はこの世の「むなしさ」について人からきかされる必要はなかった。それについては、それ以上のものを、つまり「からっぽ」を感じたのである。(中略)そのたびごとに、私は、時間のそとに位置する何物かにふれているような気がした(というより他の言葉が使えようか)。」私のやるべきことは、それらの接触が正確に何を意味するかを自分にたずね、それらの接触のあいだに一つの関係を設けること、つまり自己の内部におこっていることを自分にたずね、その内部におこっていることを知ろうとするすべての人々のようにふるまって、その内部のものと外部とを対決されること」と有り厳密な哲学者のエッセーを楽しんだものでした。