3限の「文学」では夏目漱石の『三四郎』に付いて語りました。

 11時42分の南船橋行きで移動を開始しました。幸い座席を確保できたのでジャン・グルニエの『孤島』(竹内書店)を読みました。「どこかほかのところへ! それは若者の誰もが真先に発する言葉である。若者は生命をかみあわせる、ただ欲望の歯車だけに…。一体若者はどこかへ行けば自分の願いが満たされると思っているのか?」と有りカトリックの祈りのようなものを感じます。大学には構内の自動販売機で水を買ってから130101教室にハンドアウトとリアクションペーパーを配布しておきました。3限の「文学」では小川三四郎の目を脱構築する別な視点の存在が有ることを語りました。画家は鋭い観察力の持ち主で、人物の表情、目の動き、発する言葉、体の動きを見抜く存在であることも語りました。補助資料に従って『三四郎』は「書斎」という場を巡る物語であることも語りました。このように「独身者」共同体の力学圏における「女」たちの発話は、終始見えない制度によって切断されるという「危機」にさらされていることも語りました。4限の「フランス語5」は履修生が居ないので非開講となっています。帰路は北浦和埼玉県立近代美術館を訪ねて「private,privateわたしをひらくコレクション展」を観賞しました。須田剋太の「老人像」は頑なな老人そうで黒縁の眼鏡を掛けて何かの作業をしています。須田剋太の「私の曼陀羅」は大きな円が三つ有り中心は紫色で塗り潰されています。熊谷守一の「ケシ」は黄色い花が開く様子を素朴なタッチで描いています。泉茂の「ひるね」はヒマワリの花が咲き誇る下で葉に包まれた男が山高帽子を被ってひるねをしています。MOMASコレクションに移動するとジュール・パスキンの「眠る裸女」が有り薄絹を纏った裸女が眠っています。あどけない顔付きに幸せなんだろうと思ったことでした。ジュルジュ・ルオーの「横向きのピエロ」は深い瞑想に耽っているピエロが描かれていて宗教性を感じました。(写真はジュルジュ・ルオーの「横向きのピエロ」です。)