文学では三浦雅士氏の『漱石 母に愛されなかった子』の抜き書きを利用したハンドアウトで語りました。

 文学では三浦雅士氏の『漱石 母に愛されなかった子』の抜き書きを利用したハンドアウトで語りました。夏目漱石の『それから』に付いて語ったのですが、『それから』はまったく神技と言うほかない作品です。不必要な細部が一箇所もない完璧な作品を見ていると、そう形容するほかない作品です。『それから』の主人公は、高等遊民、すなわち働くなくとも豊に暮してゆける地位にある青年・長井代助です。財産家の父親に月々手当てを貰って暮している。代助は別に一家を構え、書生と下女を置いている、結構な暮らしです。その代助のもとに一通の葉書が届く。学生時代の親友で平岡常次郎からのものです。代助は親友の菅沼を平岡に紹介しただけでなく、菅沼が流行病で急死した後、それまで自分の妹のように庇護してきた菅沼の妹・三千代と平岡を結びつける役を果たした、そういう仲である。『それから』の第一章に伏線が有り父親との齟齬、それから平岡の妻・三千代が気に掛かっていることもお話ししました。ラストシーンは「代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行こうと決心した。」と有り「オープンエンディング」の結末だとお話ししました。文学の授業が終わってから北浦和埼玉県立近代美術館を訪問しました。「private,private わたしをひらくコレクション」が開催されています。須田剋太の「道」は木が一本立っているだけの寒々とした光景です。瑛九の「ともだち」は二人の友達がテーブルを囲んで食事を取っている光景で、ワインの瓶も並べられていてあります。瑛九の「青の中の黄色い丸」は橙色の楕円がある中に青い丸が有って何だか良く分かりませんでした。横山大観の「日本心神」は富士山を描いたもので富士の心を理解しろと教えられたような気がします。ジュール・パスキンの「眠る裸女」は茶色の髪をして惜しげなく裸体を晒している裸女でドレスも殆ど着けていません。上田薫の「ジェリーにスプーンc」はスーパーリアリズムの作品でジェリーとスプーンがリアルに描かれています。一階の会場に移ると「MOMASコレクション」が有ります。ジュール・パスキンの「眠る裸女」は惜しげもなく裸体を晒しながら眠っている美女で髪は茶色、どれすは殆ど着けていないような姿です。キスリングの「リタ・ヴァン・リアの肖像」は大きな眼をした少女像で、赤いマフラーを巻いて、黒いドレスを羽織っています。マルク・シャガールの「二つの花束」は二つの花が見え遠景には家々が見えていて一つの村を形作っているようです。クロード・モネの「ジヴェルニーの積みわら、夕日」は夕日に照らされた積みわらを描いたもので積みわらが発光しているような感じを受けたものでした。(写真はジュール・パスキンの「眠る裸女」です。)