5月14日の文学では夏目漱石の『門』に付いて語る予定です。

takuzemi2015-05-07

 5月14日の文学では夏目漱石の『門』に付いて語る予定です。熊倉千之先生の『「漱石の変身」『門』から『道草』への羽ばたき』(筑摩書房)を種本に使ったのですが、これまで『門』が自伝的だと読まれたことはありませんが、御米という宗助の妻を「精神的で抽象的な存在」と捉えると作品中に秘められた幾多の指標が突然『門』の主題に向って収斂するのです。(中略)「主人公は、そこで「父母未生以前その本来の面目」という公案を考えあぐねます。苦しまぐれの答えに、老師から「もっと、ぎろりとした所を持って来なければ駄目だ」と一喝されて、何の成果もなく山門を出たのですが「彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった」(二十一)とあるのが、この小説の結論のように読めますので、そこでほとんどの読者が『門』の読みを終えていたのです。(中略)「その一つのヒントは、さきほどの『明暗』のように『門』の末尾でも、主人公は風呂屋でそれまでの垢を洗い流すからです。普通「銭湯」と書くところを、漱石は敢えて「洗湯」と書いたのも、過去の垢を洗い流して、新たな人生へ再出発する主人公を暗示したいからです。」と有り主人公の明るい未来が仄めかされています。
 どんよりとした曇り空が広がっています。気分が良くないですね。7時調度に家を出て散歩に出掛けました。先ずはプチ・パワースポットの沼影観音堂を目指します。六地蔵様を拝んでから本堂の銅鑼叩いて合掌しておきました。。連休明けで通勤客や通学生の中にはちらほら傘を持った人も見受けられます。天候の急変を心配しているのでしょう。武蔵浦和の駅まで引き返して別所沼を目指します。駅前自動販売機で冷たいお茶を買って一口飲んでそのまま散歩を続けました。別所沼に着いてみたら散策を楽しむ人もほとんど無く閑散としていました。いつものように埼玉県原爆死没者慰霊の碑に合掌し別所沼弁財天に賽銭を入れて柏手を入れて柏手を打っておきました。風の神エベーカトル・ケッツアルコアトルに挨拶をしておきました。ブランコに乗って空中を浮遊する感覚を楽しみました。家に帰って能率手帳改めNOLTYに別所沼3000歩と書いておきました。