友人の岩佐倫太郎君の『印象派と琳派がわかれば絵画が分かる』(舵社)を読みました。

 早めの昼食を済ませて、11時2分の各駅停車南船橋行きで移動を開始しました。車中では幸い座席を確保できたのでm 友人の岩佐倫太郎君の『印象派琳派がわかれば絵画が分かる』(舵社)を読みました。友人二人と連れ立って訪れた清春白樺美術館に付いて次のように語られています。「ここは清春小学校の跡地ですが、大正14年に学校が落成した時に生徒が植えたという、樹齢90年近い桜の大きさや本数がハンパじゃない。量感たっぷりです。ここに来ると日本にもこんな景色があったのだと感嘆されることしきり。美しさはちょっとたとえようがありません。」と有ります。11時45分に大学に着き最初の会議が始まるまで45分の時間が有ります。ランボー読書会のテクストのミシェル・ビュトールの『ランボーに付いての即興』の下調べに取り掛かったのですが、長文に阻まれて大したことは出来ませんでした。14時40分から二回目の会議が始まりました。4時調度に二回目の会議が終わり16時34分のしもうさ号大宮行きで帰路に着きました。明日の文学では夏目漱石の『門』に付いて語る予定です。熊倉千之先生の『漱石の変身』(筑摩書房)を利用して作ったハンドアウトです。「坂井を山の上の「洞窟」で宗助に如何に生きるべきかを教え諭す「聖」と設定することが、『門』という小説をどれほど豊かにするものか、そう読むことでこのテクストが文学的にどれほど高い地平に達することができるか、そう考えると漱石の「たくらみ」の凄さが並大抵のことではないと知れるのです。」と有りました。宗助と御米が初めて会った時の描写も紹介しようと思っています。「宗助は二人で門の前に佇んでいる時、彼等の影が折れ曲がって、半分ばかり土塀に映ったのを記憶していた。御米の影が蝙蝠傘で遮られて、頭の代りに不規則な傘の形が壁に落ちたのを記憶していた。少し傾きかけた初秋の日がじりじり二人を照り付けてたのを記憶していた。御米は傘を差したまま、それ程涼しくもない柳の下に寄った。宗助は白い筋を縁に取った紫の傘の色と、まだ褪め切らない柳の葉の色を、一歩遠退いて眺め合わしたことを記憶していた。」と有ります。