3限の「文学」では夏目漱石の『門』に付いて語りました。

 11時32分の各駅停車東京行きで移動を開始しました。3限の「文学」が待限りなく確保できたのでドミニック・ローホーさんの『「限りなく少なく」豊かに生きる』(講談社)を読みました。「自分の実力以下に目標を設定することは、一見意味がないようですが、実はその逆。そうすることが、いちばん満足感を与えてくれるのです。始めることから始めるのです。どんな事業も、一歩また一歩と達成近づけていくといいのです。」と有ります。大学には12時10分に着きTAのS君がやって来るまで30分ほどの時間が有ります。教務委員のT先生と一緒に打ち合わせを済ませておきました。
 3限の「文学」では夏目漱石の『門』に付いて語りました。『門』の荒筋を語ってから、坂井を山の「洞窟」で宗助に如何に生きるべきかを教え諭す「聖」と設定することが『門』というテクストが、文学的にどれほど高い地平に達することができるか、そう考えると、漱石の「たくらみ」の凄さが並大抵のことではないと知れるのです。」とお話ししました。リアクションペーパーを読んでみたら「主人公はだいたい馬鹿」とういのが印象的でした。「人生はお金ではない」とは言うもののお金がなければ生活できない。」「必然性のあるシーンではなく、実際の人生も偶然にまみれていると言ったことが印象に残りました。」
帰路は北浦和埼玉県立近代美術館を訪問し「private,privateわたしをひらくコレクション」を観賞しました。先ず会場に入ると「プロローグここはとじていた」と題された映像が映っています。中川陽介さんの映像で椅子や自転車が映されているのですが、中身は良く分かりませんでした。須田剋太の「道」は黄昏時の風景で何もかも霞んでいます。道には一本の木が生えていて淋しい感じを良く捉えています。須田剋太の「不協雑音」は青、緑、黒などの色が無造作に塗られている画面で全く落ち付いた感じにはなれません。「不協雑音」と言う題名はそこから由来したのだと思われました。池上秀畝の「鷺」はカップルの鷺を描いたもので仲よく樹の上に立っています。草間彌生の「生きものの巣」は不揃いな円形の中に三葉虫がひっくり返って居て目の付いた石も有り、赤い玉も有りで何だか分かりませんでした。同じ作者の「魂たちが安息する穴」はパネルに寄ると帰巣本能を表したものだということでしうた。MOMASコレクションに移るとモーリス・ドニの「シャグマリの聖母子」が有り幼児をしっかり抱いている聖母が立っています。ジュール・パスキンの「眠る裸女」は惜しげもなく肌を露出した女が眠っている画面です。封筒の中に私宛の手紙が入っていました。「お元気ですか?岩手県盛岡市に移って7カ月、雪もなくなり、ようやく生活にも慣れてきました。大学で過ごした時間は懐かしく、私にとってはずっと大切な場所です。また、お会いできる日を楽しみにしています。」と有りました。(写真はジュール・パスキンの「眠る裸女」です。)