国立新美術館で「ルーブル美術館展」を観賞しました。

 午後は12時1分の快速新木場行きで移動を開始しました。幸い座席を確保できたので友人の岩佐倫太郎君の『印象派琳派がわかれば絵画が分かる』(舵社)を読みました。はじめにの中にこんな言葉が有ります。「ところでわれわれはなぜ絵を見るのでしょうか。アルタミラの洞窟の絵を見れば、絵を描いたり見たりすることは、古来、人間にだれにもある欲求のように思います。ただ日頃の私たちの生活は、数字や知識など、ロジックでがんじがらめになっています。(中略)「言葉のない色や形の世界に自由に放牧し、好きなように遊ばせてやるもの必要ではないかと思うのです。」と有りました。池袋で下車して原宿に向います。明治神宮前で綾瀬行きに乗ると、二駅で乃木坂に着きます。6番出口から出ると国立新美術館に着きます。国立新美術館で「ルーブル美術館展」を観賞しました。1,600円のチケットを払って会場に入ります。「雄牛と牛飼いを表すオストラコン」が有り、文字の筆記やスケッチなどに用いられた石灰岩の断片が有ります。どれも雄牛と牛飼いが上手に描かれていて、驚いたものでした。ぶらんこの画家の「黒像式ヒュドリア」はパネルに寄ると、水の運搬に用いる壺で、持ち上げやすいうように水平の取っ手が一つ付いています、と有り壺の表面には泉で水を汲む女性たちが描かれていていました。ニコラ・レニエの「女占い師」はパネルに寄るとロマの女占い師に右手を委ね、その言葉に耳を傾ける着飾った上流階級の婦人が居て、劇的な明暗表現や手の交差に寄って演出されるドラマはイタリアの画家カラバッジョの影響に寄り、17世紀前半のヨーロッパで大流行したと書いてありました。ヨハネス・フェルメールの「天文学者」は天文学者が地球儀に面している構図で、何か哲学的な問題に取り組んでいるらしいと思いました。ティツイアーノ・ヴェッチリオの「鏡の前の女」はパネルに寄るとティツイアーノがこの女の作品を描いた背景には詩、絵画、彫刻などの異なる芸術分野の優劣を競う理論の流行もあったそうで。(中略)360度どこからでも観賞できる彫刻が勝るという主張に対して、絵画でもいくつかの面で一度に表現することもできることを示しました。」と有り「鏡の前の女」もその一例だと考えるものだろうと思いました。