「文学」の授業では『こころ』の「先生」が自殺した訳はと題してお話

takuzemi2015-05-21


 いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。「しつもん! ドラえもん」の質問は「せいようびじゅつ編」で「はげしい作風や人生から「炎の画家」とよばれる19世紀後半のオランダ人画家はだれ?」と有り、すぐゴッホだと分かりました。新聞を開いて答えを探したら「ゴッホ」と有り当たっていました。解説には色あざやかなひまわりや、糸杉の絵などで知られ、世界中で人気があるんだよ。でも生きているあいだには、ほとんど絵が売れなかったらしいよ。」と本当の事が書いてありました。それから夏目漱石の『それから』を切り抜いてファイルに投げ込んでおきます。「代助が三千代と知り合になったのは、今から四、五年前の事で、代助がまだ学生の頃であった。」(中略)「その頃、代助の学友に菅沼というのがあって、代助とも平岡とも、親しく附合っていた。」(中略)「菅沼の家は谷中の清水町で、庭のない代わりに、縁側へ出ると、上野の森の古い杉が高く見えた。」(中略)「その一本は殆ど枯れ掛って、上の方には丸裸の骨ばかり残った所に、夕方になると烏が沢山集まって鳴いていた。」(中略)「代助は其所へ能く遊びに行った。始めて三千代に逢った時、三千代はた御辞儀をしただけで引っ込んでしまった。二返行っても、三返行っても三千代はただ御茶を持って出るだけであった。」と有り代助と三千代が出会った経緯が語られます。
 未明には春雷に驚かされました。雷が鳴って眼を醒ましてしまいました。朝方には抜けるような青空が広がって安心しました。7時調度に家を出て散歩に出掛けました。先ずはプチ・パワースポットの沼影観音堂を目指します。六地蔵様を拝んでから本堂の銅鑼を叩いて合掌をしておきました。武蔵浦和の駅まで引き返して別所沼を目指します。駅前の自動販売機で冷たいお茶を買い一口飲んでそのまま散歩を続けます。別所沼に着いてみたらランニングやウォーキングを楽しむ市民が大勢居ました。いつものように長谷川かな女の句碑を味わいました。「曼珠沙華あつまり丘をうかせけり」と有ります。それから埼玉県原爆死没者慰霊の碑に合掌し別所沼弁財天に賽銭を入れて柏手を打っておきました。風の神エベーカトル・ケッツアルコアトルに挨拶をしておきました。ブランコに乗って空中を浮遊する感覚を楽しみました。同じマンションに住むノッポサンを見掛けて挨拶を交わしておきました。帰路には8時近くになり集団登校をする小学生の群れに出会います。能率手帳改めNOLTYに別所沼3000歩と書いておきました。