今日の3限での文学では柄谷行人氏の「内側から見た生」に付いて語りました。

 11時32分の各駅停車東京行きで移動を開始しました。車中では幸い座席を確保できたのでジャン・グルニエの『孤島』(竹内書店)を読みました。ボルロメオ島の中にこんな言葉が有ります。「旅をして何になるのか?山は山に、野は野に、砂漠は砂漠につづくのだ。私はそのはてを見ることは決してなく、私のドゥルシネアを見出すことは決してないだろう。(中略)それは一体何か?そうだ、太陽、海、花は、それらがあるところならどこでも、私にとってボルロメオ島となるように思われる。」と有りました。大学には12時10分に着き同僚のY先生が授業を終えて帰路に着く所でした。今日の3限での文学では柄谷行人氏の「内側から見た生」に付いて語りました。自己を他者としてではなく、いわば自己の内側からみようとすれば、どうなるだろうか。時代のなかに生き時代とかかわっていた漱石は、まったく外界から閉ざされていた「夢」の中に生きていた漱石は彼が長編小説が示す構造的分裂や彼の実生活が示す分裂を生きていたという事をお話ししました。
 帰路はうらわ美術館で「幕末明治の浮世絵展」を観賞しました。先ず会場に入ると喜多川歌麿の「太閤五重洛東遊観之図」が有り美人たちが集まっている図で中には武士も何人か居て豪華な雲母擦りの作品でした。歌川広重の「伊勢名所二見ガ浦の図」は背景に青い海が見え、その前で美人が踊っています。歌川豊国の「無題(かげま茶屋)」はパネルに寄ると御殿女中や裕福な商家のなどの相手をする美少年のいる店を影間茶屋と呼んでいた。影間の料金は非常に高額であったと記されていました。三代歌川広重の「東京汐留鉄道館蒸汽車待合之図」は蒸気機関車が弾かれて喜んでいる人たちが集まっている画面で汐留は新橋のことだとパネルに書いて有りました。